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米国製の〇〇〇

こんにちは、ばしです。

 

あれは確か1986年のこと。

初めて買ったリーバイスは501でした。当時の私には少し大きめサイズの32インチのユーズドで値段は確か3900円。十七歳の夏、雑誌の地図を片手に心斎橋アメリカ村デビュー。眩しい陽射し中を目当ての店に辿り着き、人生初の古着ってやつをドキドキしながら買い求めたことを今でも覚えています。

その次に買ったリーバイスは505。お気に入りの501でしたが、リーバイスと言えば501だよね、そんな風に言われるとなんか少し嫌だな。皆と同じはあまり良い気分ではない。同じ風でいて実は少し違う。そんなのがカッコよく思えた。

505だった理由は、当時よく聴いていた尾崎豊のお気に入りがリーバイスの505らしいと聞いたから。いやそれってミーハーだし、メディアにちゃっかり乗せられてるわけですが、当時の自分的にはご機嫌な感じでありました。

 

 

 

私の天邪鬼な性格はこの頃からのように思う。

Tシャツもそう。ヘインズではなくフルーツ派でした。世の中の主流はヘインズ。であるならばあえて「フルーツオブザルーム」。ネーミングがやたら長いのも素敵です。1980s後半当時たしか3枚パックでどちらも1500円くらいだったような。

ヘインズのTシャツを買うこともあったけど、赤パックではなく青パック。赤はコットン100%。青はポリ混紡。見た目は変わらない。なのに青だった理由は、コットン100%が嫌だったわけではなく、皆と違ってる方が良かったから。

スニーカーはジャックパーセル。十代の頃に2足履きつぶした。当時コンバースといえばオールスターだったのですが、そこはあえてジャックパーセル。へえそんなコンバースがあるんだ、なんて言われると内心かなり嬉しかった。

1990年頃、ラルフローレンのオックスフォードボタンダウンシャツが大流行でした。大学に行くと色違いの同じシャツを着た人たちでキャンパスは溢れかえっていた。皆と同じが嫌な僕はあの頃そもそもBDシャツ自体を着ることはなかった。

代わりというわけではないけれど、卒業してから仕事用に買ったオックスフォードのシャツはアイクベーハー。ラルフローレンのシャツも作っていたファクトリーのBDシャツなわけですが、今も昔もブランドのロゴマークのあしらわれたモノを身に着けるのはあまり得意ではありません。

 

 

 

若かりし頃の自分を振り返ってみますと、

「皆と同じは嫌」だったわけですが、実のところは単に「通」っぽいのが大人っぽくてカッコいい、そう感じていただけだったような気がしなくもない。だって、雑誌なんかでもそんな風なこと書いてあったし笑。

大阪のかなり南部の田舎育ちの私は大人への階段を昇り始めたあの頃、都会のビルの上に広がる青空を仰ぎ見ながら皆とはひと味違うカッコいいオトコになりたい、と、少し力んで背伸びしていたようにも思える。

ただね、さらにあらためて振り返ってみますと、どれも全部【アメリカ製】なんですよね。

学生時代のお気に入りはアニエス・ベーでしたが、それ以外で意識せずに買い求めていたモノは何のことはない、皆とおんなじ米国製のプロダクツ、なのでした笑。

そうなのです、今も昔も、我々くらいから上の世代は【MADE IN USA】と聞いただけでグッときてしまうのであります。

 

 

ついこないだもグッときた。

 

(次回につづく)

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