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Gold Shoes / TOKYO NIHONBASHI

こんにちは、ばしです。

 

古靴を求めてのリユースショップ巡り。

コロナ禍の所為でウエブに軸足をシフトしたこの2年ではありますが、「足で稼ぐ」のが私の古靴漁りの基本スタンスです。思えば、意欲的&積極的に巡るようになって6~7年ほど経ちます。これまで、様々なビンテージに遭遇してきましたが、稀に、海外のサイトでは決してお目にかかれないペアに出会うことがあります。

そう、それは「ジャパン・ビンテージ」。

正確には「ジャパニーズ・ビンテージ」なのでしょうが、「ジャパン・~」の方が語呂がいいような気がして、そのように呼んでおります。主に昭和の頃の日本の本格靴ですが、一部平成の初期の頃、バブル経済崩壊前ギリギリまでのものも含めてます。バブル崩壊=平成3年=1991年というのはもう30年も前ですから、まあ、この時期まではビンテージと呼んでもいいかなと。

これまでも少なくない数のジャパン・ビンテージを拾ってきました。過去にいつ・どんな靴を拾ってきたか、遡って調べてみました。

 

2018/07/01:「コバヤシ靴店
2018/11/23:「オリエンタルシューズ
2018/02/22:「中井特製
2019/03/31:「高橋
2019/12/06:「RICCO
2020/02/22:「BARBICHE
2020/08/12:「CHESTNUTS INDOOR SHOES
2021/07/17:「HANKYU UMEDA

 

おお、結構巡り合ってますね。ちなみに、今も尚現役バリバリのリーガルさんの旧いペアと、平成の末期に90年の歴史に幕を閉じられた三交製靴さんのペアは今回は対象外といたしております。

振り返ってみますと、寒い時期に買ってる割合が多いですね。遺品整理や生前整理等で持ち込まれたものが多いのかもしれない。計8足中5足はすでに旅立ちました。手元に残っているのはのついた3足のみです。

この手の靴の魅力は何かといいますと、なんて言っても「安い」ことです。安ければ500円くらいから、高いものでも2000円前後までの値札がついていることが多いように思います。

そんな安いにもかかわらず、クオリティは結構素晴らしい。昭和の頃の誂え靴なんかはまさに「ビンテージ」と呼ぶに相応しい職人技が光るものも少なくありません。それが激安ですと、思わず脊椎反射で拾って帰ってしまうわけです。

また、それほど古くない、昭和の終わりころ=バブル経済期のデザイナーブランド等のペアも、それなりに手がかかっていてしっかりしたものが多い。必ずしも日本製とは限りませんが、コストダウンへの取り組みの必要がない時代のペアは、有名無名問わずしっかりしたつくりのものが多いように思います。

景気の良し悪しとクオリティの面から言えば、1960sが米国靴の黄金期であるように、日本の黄金期は高度成長期からバブルにかけての1960~80sなのかもしれない。誂えか既成か、の棲み分けはさておき、日本の古い中古靴で買うなら、サイズさえ合うなら、あえてこのくらい古い時代のペアを狙うのも手だな、なんて風に常々思っております。

今回もそんな時代のやつ。残念ながらマイサイズではないのですが、あまりに素晴らしくて持ち帰って来てしまいました。

 

こいつ。

 

Gold Shoes

先月2月の1足目。いつもの最寄りセカストにて。小さめサイズゆえレディスコーナーに紛れておりました。「Gold Shoes」「TOKYO NIHONBASHI」。左右の向き合ってる動物は鳥?でしょうか。金箔のロコが抜群にカッコイイです。

 

東京は日本橋にあった「ゴールド靴店」のペアのようです。「あった」とあります通り、今はもうないようです。こんなのにヒットしました。

「11月15日に閉店」された模様。いつの11月15日なのでしょう。

検索しましたところ、

「合資会社ゴールド靴店」「東京都中央区日本橋3-5-12」との情報が。グーグルマップでこの住所を確認してみました。

右に弁当屋。その左隣は工事中。

どうやら1階が弁当屋さんのビルが「日本橋3丁目5-12」のようです。この写真は2021年6月に撮影されたようなので、ゴールド靴店が閉店されたのは、前年の2020年かその前年の2019年の11月頃、なのかもしれません。

どのような靴屋さんだったのでしょうかね。

旧い日本の靴店のペアは、自店で誂えておられることもあれば、例えば、「小笠原シューズ製の○○のペア」といった具合に、他に委託されてたこともあったようです。

 

このペアがどのような由来のものか、今となっては知る術はもうない。ですが、素晴らしいジャパン・ビンテージであることだけは間違いない、そんなクオリティです。

アッパーの状態も良く、汚れもありません。ソール周りだけサクッとメンテしました。

いつも通り、まずは左から。

ソールトニック、TAPIRレダーオイル、パレードグロス、最後にコロニル1909。いやはや、土踏まずの抉れが凄いな。

右のソールです。ヒドゥンチャネルですが、出し抜い糸が顔を出してます。それなりに履かれていたのでしょうか。

その割にはトップリフトは削れなし。交換済、なのかも。「MK FINE」とあります、今もあるのでしょうか。これを手掛かりに年代が分かればと思いましたが、今のところ手掛かりなしです。まあ、オリジナルでなければそもそも手掛かりにはならないな。で、この釘。どうせなら360度ぐるりと釘を打てばよいものを、なんで外側だけないのでしょう。理由が知りたい。。

 

さて、アッパーほか、ディテールご紹介。

 

真正面から。

とてもきめ細かなスエードのアッパー。肌理(きめ)でいえば今まで触った中で一番細かいかも。

サイドビュー。

焦げ茶のアッパーに少し明るめのステッチ。

全てダブルステッチ。

変わったパーフォレーションの意匠です。

紐もどうやらオリジナルのままのよう。ピントがあってませんが、金属のセルがついてます。

非常に細かなステッチワーク。素敵です。

グラマラスなヒールカップ。

ここにも変わった意匠のステッチワーク。

内側。タン裏もライナーもオールレザー。

フラッシュ焚いてみました。ハンドソーンウエルティッド特有の釘穴、のようなものはあるにはあるのですが・・・、そうとはわかり辛い。なぜって、穴の径が極めて小さいんですよね。

この手の誂え靴にそれほど精通しているわけでもないので断言はできないのですが、まあ、ハンドソーンなんでしょう。で、そうであるなら、結構超絶な技巧を伴うやつなのかもしれない。

コバに靴クリーム塗りましたが、まだ白っぽいな。コバインキ塗ったほうが良さそうです。で、土踏まず、やはり凄いです。抉れて、見えない笑。

 

佇まいが、なんというか。

「ワンダフル」、ではないな。
「ビューティフル」、でもない。そう、いうなれば、
「いとおかし」。

これだけ引きで見ても、スエードの革質の素晴らしさが伝わってきます。明るい色目のステッチワークも、過剰でなく、適度、出しゃばり過ぎないのに効いてます。

内側にもアウトソールにも文字の類は皆無。誂え靴だったんでしょうね。サイズはおおよそ24.5-25.0くらいのサイズ感です。昔の人は足サイズが今より小さかった。昭和の40-50年代頃のペアのように推察します。

 

これで、昭和~平成初期の頃のジャパン・ビンテージが4足になりました。

折角なんで、記念撮影。

おお、黒が1足もない。以前は持ってたんですが、なぜだか全部旅立ってゆきました。

 

インソックのロゴも見えるシューサークル。風車(かざぐるま)みたいだな。題して風車サークル。この景色、結構気に入りました。

さて、今回のゴールドだけ、小さくて履けません。そんなやつはサイズの合う人のもとに旅立たせねば。そのうち転がしましょう。

そうしますと、また3足に逆戻りです。風車サークルが出来なくなってしまいます。それはいかんです。遺憾です。ジャパン・ビンテージがもう1足必要です。

嗚呼、神様。
今回はゴールドをありがとうございました。

 

 

次は黒がいいな。

 

(おしまい)

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