こんにちは、ばしです。
古靴に古着が大好きな私ですが、
古本もちょこちょこ買い漁ります。古本屋がメインですが、最近はメルカリなんかも利用します。売り買いの相場価格も分かる上に古本屋よりも安いこともあったりしてありがたいです。このところ、靴や服関連の古い書籍をちょろちょろと購入してます。
きっかけはこいつ。
夢の靴職人 ― フェラガモ自伝
以前「TRAMEZZA」を入手した際に色々と調べてみたフェラガモ。「華やかな靴ブランド」、との印象だったのですが、実は、履き心地をとことんまで追求する筋金入の靴職人だったことを知りました。靴はすでに転がしたのですが、先日ブックオフで彼の自伝であるこの本を見つけ、おお、こんなのがあったのねと購入。ようやく読み始めたところでまだ前半の途中ですが、なかなかに面白いです。
一番最近買ったのがこれ。
THE THREE WELL DRESSERS
ー3人の着こなし巧者の軌跡ー
日本のアパレル業界で絶大な支持を得る白井俊夫、鈴木晴生、鴨志田康人の御三方が登場するオッサンによるオッサン向けの本みたいです。戦後のメンズアパレル業界を俯瞰しつつ、スタイルブックとしても充分楽しんでいただける一冊、とのこと。最近1980sと思しき日本のアパレルブランドの古靴を拾うことが多く、時代背景など知れたらいいなと。お正月に読んでみよう。
で、もう1冊。
そういえば、昔買った本があるはず、と本棚を調べるもどうしても見つけられず、メルカリで見つけて、買い直してみました。
今回の主役。
男の服装術
「選ぶ」「着る」「履く」「結ぶ」の基本教えます。
スーツスタイルについて学んだ私のバイブル。「クラシックな装い」とは何か、どうあるべきか、なぜそうなのか、といったことが、著者の強い思い入れとともに断定的に述べられた蘊蓄満載な1冊です。
かなり久しぶりに目を通してみたわけですが、あらためて面白かったです。まあ、何分、本のことですし、著作権もありますし、そもそも他人の書評や引用などより自分で読むのが一番なわけですが、若い人にこそ読んで欲しい一冊だな。ということで、少しばかり内容などご紹介。
余談ですが、
拙ブログは同じビン靴好きな人たち向けはもちろんなのですが、なにがしか、若い人たちの役に立てたら嬉しいなと思いながら綴っております。なもんで、オッサンな貴方も今回は気分を若くしてお付き合いください。
さて、今回の書籍。
1999年10月29日 初版第1刷発行
2000年10月 6 日 初版第5刷発行
1年で5回の増刷ですので、結構売れたといっていいのかな。確か当時、本屋に新刊として平積みになってるのを見かけてその場で購入したと記憶しておりますので、ちょうど三十歳頃のときに読んだらしい。
内容は全6章仕立て。
「シャツのボタンの厚さ」といった非常に細かなことまで網羅されています。それまでもファッション系の雑誌などはちょこちょこ買って読んではいたのですが、この本に目を通してみたら「目から鱗」なことが多々あって、かなりの衝撃と影響を受けました。
最初の「鱗」はこれ。
“袖口のボタンは、クラシックなスーツでは4個が基本で、袖口から数えて3個までのボタンは、本物のボタンホールがついていなければならない。”
「本切羽」という言葉は知ってましたが、「1つだけは穴を開けない」だなんて話、聞いたことありませんでした。なぜそうなのかというと、理由は「上質なジャケットは先々息子に譲るモノだから」らしい。息子の方が腕が長くて、ジャケットの袖を出すことになったときのことを見越して、4個目は穴をあけずにおくのだそうです。
ほー、そうなのね、なるほど。
いや、ちょっと待て。そもそも穴なんて開いてなくていいやん。そもそもジャケットの袖をまくったりなんかしないぜ、なとど思ったりもしたのですが、見た目には空いてた方がカッコいいし上質そうです。で、どうせ開けるなら1個は開けずにおいた方が通っぽいかな。
もし自分で上等なジャケットを誂えることがあれば袖のボタンはそんな風にしよう、と思ってたけど、今の時代、昔と違ってモノも安くなってます。親父のお古を着る時代でもないし、息子は息子で気に入ったものを買うでしょう。
結局、数年前に作ったパターンオーダーの袖口は4つとも開けちゃいました。お店の人からも「4個目も開けますか?」なんて訊かれもしなかったし、まあ、そんなもんです。
なのですが、読んだ当時、私には大変インパクトのある話なのでした。次の機会があればその時こそは4個めは開けずにおこう。
お次、これ。
“1.5センチ見せるシャツがスーツ姿を引き締める。”
スーツの後ろ衿と袖口からはシャツが1.5センチほど覗かなければならず、このことは非常に大切なことらしい。「教訓40.これはお洒落ではなく、男のファッションのルールである。」のだそうです。
で、他の箇所で述べられているのですが、そもそも、日本人はサイズの合っていない、大きすぎるシャツやジャケットを身に着けている人が多いとのこと。
なるほど、確かに、当時はほとんどの人がスーツ姿だったわけですが、カッコ良く着こなしているような人はそれほど多くはなかったな。尚且つ、シャツが袖口から覗いている人もあまりいませんでした。最近は随分改善されたように思いますが、当時は「大は小を兼ねる」的な、シャツもスーツも緩めなサイズ感で、ともすれば、だらしない印象の人も少なくなかったです。
ジャストなサイズ感と、ちょっとしたディテールへの配慮。
自分はどうだろうか。袖口からシャツを覗かせる、ということは常々意識してはいたものの、シャツの袖の長さばかり意識していたような気がしないでもないな。上着のサイズはおかしくはないでしょうが、今のままでいいのだろうか。もう少し、気持ちばかりタイトフィットのほうがいいのかも。
それが大事であろうこと、その方がカッコイイだろことは知ってはおりましたが、「ルールである」とまで言われてしまいますと、ね。違ってたらまずいんかな。
当時はスーツスタイルが仕事着の基本であり、私に限らず、それがある意味ビジネスマンの戦闘服でもあった時代でしたので、これを読んですぐに新しいスーツを買いに走りました。なぜって、それがルールだから(←スーツを新調する上での良い口実でもある)。
で、当時は、今と違って昔はスーツも高かった。そんな頻繁には買えない。基本的に既成品を購入するわけですが、同じLサイズでもメーカーによってサイズ感がそれぞれ微妙に異なる上に、今のような細身なものはそれほど多くはありませんでした。何より、パンツの裾が広いのが嫌でした。
いろんな場所で店で散々試着して、最終的に調布のパルコで「吊るし(レディメイド)」なんだけど、お直しなしで私のカラダにジャストなメイカー(確か麻布テイラー?)を見つけて、以降何年かはそこでばかり買っていたと記憶しております。
靴もそうですが、サイズ感が自分のカラダにあった既製品のメイカーを見つけるのが大切であり、とことん探せば一つくらいは見つかるもんだと実感した出来事でした。
最後、三つ目。
これは「目から鱗」ということではないのですが、一番影響を受けたことかもしれません。そう、靴にまつわるお話です。
まずは冒頭のフレーズ。
“その人が服に気を使っているかどうかを知るには、靴を見ればいい。”
そうですよね。革靴かそれ以外かは別にして、友人知人もオシャレな人は皆、靴も素敵なやつを履いていたな。で、今もなお、私が影響を受けているのがその下の文章2つ。
“教訓23. 磨いていない靴を履いている人は紳士ではない。ぴかぴかに光った靴は目立ちすぎる。鈍く光った重厚な靴を履いている人こそ紳士である。”
今も私の中で息づいている、二十数年前に目にしたこのフレーズ。私があまりワックスを使ったりハイシャインなどを行わない(※注:実はスキル不足で行えない)理由がこれです。
まあ、実際は、そんなのは一定以上の本格靴だからいえることでしょう。そもそも重厚でない安物の靴の場合はある程度光ってた方が良い。手入れが行き届いていることが伝わるし、何より清潔感もあります。
ただ、高級な本格靴の場合、光り過ぎてガラスレザーのように見えたりすると、折角の上質なアッパーなのに勿体ないような気もするな。そんな風に感じて、以来、手入れは行ってもあまりピカピカには光らせないようになりました。
なぜなら、「僕もダンディを目指したい」から。教訓に続くフレーズにはこうあります。
“ダンディを目指すならば、靴に対して最大の敬意を払わなければならない。同じ靴を2日続けて履いてはならない。足入れした後は、3~4日は憩ませる。憩ませるときは必ずシューキーパー(木型)を入れなければならない。”
(再掲)
「ダンディ」ですよ、ダンディ。ダンディです。当時も今も、あまり使わない言葉だな。ともあれ、見た目にもダンディになれるかどうかは別にして、靴に敬意を払うことでダンディに近づけるのであれば最大の敬意を払おう。そう誓ったのでした。
シューツリーは二十歳の時に買いました。それ以降、同じ靴を2日続けて履くことはずっとないわけですが、二十代の時にそんなことを実践している人は身近にはほぼ皆無でした。なので、そんな風にしているだけで「オシャレに気を使っている奴」と、周囲は勝手に思ってくれていたようです。
ちなみに、「気を使っている奴」なのであって、実際に「御洒落な奴」と見てくれるとは限りませんので留意ください。で、このあたりのことは過去記事「絶対持つべきもの、シュートゥリー」で触れておりますので宜しければご参考まで。
さて、ページをめくりますと、
靴のイラスト。内羽根のスタイルが多いです。この本の中で著者の落合正勝氏は、「クラシックとは古典的という意味ではなく、正統性であり最上級という意味だ」と述べておられるわけですが、著者の立ち位置はアメリカではなく欧州寄り、時に英国寄りでありつつもクラシコイタリア寄りです。
ま、私の場合、そもそも本格靴に興味を持ったのが英国靴ですので、手持の靴も内羽根の靴が多かったわけですが、これ以降はさらに靴のチョイスは内羽根一択となったような気がします。このあたりも結構影響を受けました。
ただ、この本に書いてあることをそのまま実践すればいいかというと、必ずしもそうではない。このままだと古臭かったり、堅すぎたりするかも。
例えば今の時代、職場でのドレスコードは緩くなる一方ですし、ジャケパンなら内羽根キャップトゥよりもロングウイングやPTBの方が似合う。内羽根だけではなく、外羽根の靴もそれなりの数が必要です。
また、
「ズボンの裾と靴の正しいシルエット」
ということなのですが、このパンツの裾幅は今の時代だと明らかに広すぎます。かつ、長さも最近はもう少し短めのジャストサイズの方が多いような。そもそも「裾にブレイクを入れる」なんてフレーズすら聞かなくなりました。
やはり、時代とともにスタイルも変わっていくわけです。なのに、旧い教科書の内容をそのままやっちゃったりするから、「クラシック=古典的」との解釈が生まれてくるんでしょうね。
その時々のスタイルや流行を取り入れることは楽しいですし、そうでないと変です。で、それらをより一層楽しむための前提としての知識がこの手の本で手に入るのだと思います。
社会人になりますと最初に新入社員研修があり、そこで「ビジネスマナー」を学びます。ビジネスマナーとは、互いが気持ちよく、かつ効率的に過ごし関わるための「ルール」です。そういう意味では、身だしなみもまた、同じくルールです。
帯にある、「スーツには社会的ルールがあります」というのは、正にそういうことなのだと思う次第です。
そんなスーツスタイルの「基本の“き”」、「守・破・離の“守”」、「そもそも」「本来は」「なぜそうなのか」といったことは知っておいて損はないでしょう。「レジメンタルタイの色の意味」などは、日本国内ではなんでもよくても、知らないままだと未だに海外で恥をかくようなこともあります。
また、友人知人に対してはどうでもいいような話でも、上司や得意先などの年長者がこの手のことに拘りがあったりする場合などは、上着の袖口や足元の話で盛り上がって、仕事がトントン拍子に進むなんてこともあるかも。
そんなこんなで、
どうせ知るなら早い方がいい、若いうちに知っておいた方が得だ、と思う次第です。息子にもいずれ読ませるつもりです。
ちなみに、
この本はその後、改訂版も出版されているようです。
島耕作ライクなイラストのがそれです。そちらの中身は確認しておりませんが、改訂版も、今回再購入した当初のものも、メルカリで中古が数百円程度で多数出品されてます。年末年始のお伴に、その後も持っていて損はないかも。
今回は、そんな1冊のご紹介でした。
メリークリスマス。
(おしまい)